誰のためでもない自分の為に…

なんてタイトルだけ見たら聞こえがいいが、中身は違う。むしろ『なんやねん』と言いたい。

自分の為にもならないのに誰かの為になるのか?という昔からの疑問。最近色々勉強していく中で最後はこの言葉にあたる。自分は偽善者にはなれない。嫌いなものや面倒なことはもう懲り懲りである。それを他人に求めたり答えたりするのが正しいのか?ということ。

戦争や戦争遺構が個人的なテーマでそれを追っていく中で戦時中は誰かもわからない『国民』という見えない大衆の期待を背に召集令状をもらい出て行かざるをえない事。財産、土地を知らない人からいきなり奪われ戦争に利用されて今はその事すら忘れ去られている事についての答えを知りたかった。しかしその答えなんかどれも当てはまらなかった。置かれた場所に咲く花の様にそれぞれが背負ってる背景、そうせざるを得なかったのだから…

自分の為に戦争に行き命を捧げた人はいるだろうか?地域の為、日本国のため、当時の言葉で言えば天皇陛下のためであって自分から知らない誰かを殺しに行ったり命かけて突っ込んで行く気持ちは今の時代に生きているものにはわからない。私は誰かのために命を落とす覚悟はあるだろうか?

自分の為にならないのに人の為にならないという昔からの疑問は、私の生きる面での様々な角度の中での問いでありこれからも色々な面で問い続く…

誰のため為でもない自分のためにやったことが人に必要とされるなら、それは続けていくべきだろうか?

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