正義の答えにみんなはいない

最近睡眠時間が眠くならず目が落ちなくてブログ書くことにして気持ちを整理しようと思う。

私自身、震災直後は不器用であがり症だったけど若気の至りで随分周りの大人たちには失礼なことをしたと何年かたった頃から感じるようになった。今では反省して人を見て話し方を考えるようにした。

 その際、正義と正義の見方の違いを感じたのは正義と正義の争いは最後解決するには戦争なり命がかかる事件にしかならないということ。だから人の正義と私の正義が違う、世の中の『みんな』は存在しないのだと思うことが増えた。そして何より正義を使うのは生と死が目の前にある時だけに使うものなんだと学んだ。

そこから少しずつ楽になり、無理して見えないみんなに気を使わずに生きる方向に転換した。結果も100を60ぐらいにしてあとは周りとの関係で90まで上がれば良いと考えるようになった。

生きていれば必ず相入れない考え方の人もいて震災という共通の言葉があっても分かり合えない人すらいる。今はそれを仕方ないと思えるようになった。

私にとっての正義とは私自身にある柱がありそこに関わる人や繋がりのある人、それをみる人たちが幸せにかつ平和に分かり合えて気持ちが動き出来る行動すること。

頭だけでも金だけでもダメ。ただできないことを無理にさせてはならず。相手の気持ちや想いを感じ取り体力や年齢なども様々考慮して考える。俺の口の悪さを気にしない人とは関われるけど無理な人とはそれなりで良い。

最近、戦争関係の軍人が残した言葉や資料、名言を見て死が目の前にある時の正義の隔たりに私の考えが近いものがあるなと思った。

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