ご縁は大切に細く永く

日曜日、私宛に荷物が届く。なんだろうと開けると立派なデザートが入っていた。名前はAさん

東日本大震災時は相馬市に住み、東京に住む妹さんを頼りに御高齢の親と一緒に避難された。ご高齢の親御さんの医療機関の問題、ご自身の考える放射能、原発事故での不安を感じたいわば『自主避難者だった』

私が八王子で東日本大震災向けの活動の一環で始めたお茶会の1回目に、朝日新聞の記事をみて来てくれた方である。故郷を離れ都会の中にいて都会が普通に暮らしていることに理不尽さを感じながらも当初は出身地を隠して暮らしていた。行政の支援も当初は最低限で孤立していた。そこで私の記事を見て興味を持ち足を運んでくれた。

Aさんは開催したら毎回来てくれて出身者の方やボランティアさんと仲良くなる中で自分で改めて放射能や放射線、また福島第1原発について学び様々な講演会に行き自分なりの落とし所を探し少しずつ納得し、そして当初は仕事をしていなかったので自分がボランティアさんやSNSで仕事を呼びかけた所、マンション掃除の仕事が見つかりその後別な会社に採用されて今も続けながら一年に一度は自宅の様子を見に相馬市へ帰ってる。

ただ都会と比べ今の相双地区の医療、福祉サービスは機能してない麻痺状態が10年近く続いている中、年配の方向けの仕事も少ないから戻りたい時に戻る今の方がいい。帰れる時が来たら帰ればいいとだけ話を数年前にして、Aさんもそうすると決めて今でも電話でやり取りしてる。

東日本大震災は決断が進む人も増えているがご高齢の方で健康でない限りわざわざここに戻ることはない。絶望感の医療に後悔したりする事があると避難から戻られた方に言われた事があるからだ。

情報は提供すれどそれぞれの判断に任せるしかない。それが現実だと思ってる。国や行政、周りは言うだけ言って責任は取ってくれない。原発事故の教訓だ。

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